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父の死とコロナ

先日、父が死んだ。

このご時世の中、コロナではなく、心筋梗塞

お陰で死に目にはなんとか会うことができた。

コロナの影響があったのはそのあとである。

 

なんと父の葬儀の数日前に、同じ県内で、別の葬儀の参列者から集団感染が出たという報道があった。

幸い、違う会場だったものの、その衝撃は大きかった。マスクをかき集めて、参列者でマスクのない人には配り、会場の入り口ではアルコール消毒が徹底された。

父は人望が厚く、まだ若かったので、参列者がたくさんいた。県外からも来たし、その中には横浜や東京に住んでいる人もいた。

私も例外ではなく、感染者の出た都市に住んでいて、電車やなんかを使って地元に戻ってきている。

 

さて。父はコロナによる死ではないため、誰もが死に目に会えたし、火葬前にお別れができた。

では、参列者は?

 

私も参列者も、発熱や咳や味覚障害などの症状はない。(少なくとも咳をしている人はほとんどいなかった)

しかし、症状が出ていないだけで、ウイルスを持っている可能性はおおいにある。

症状がない人でも回りにうつすことがあるから、マスクが推奨され、不要不急の外出が自粛されている。

もちろん、父の危篤や葬儀は必要で急を要するものだと(私は)思うが、果たして、私は、父の友人は、葬儀にでないほうがよかったのだろうか?

 

今回の父の件では、ありがたいことに、私に向かって「なぜ帰ってきたんだ」と責める人はいなかった。

でもそれは、まだ参列者に感染者が出ていないからかもしれない。感染者がでたら、あまつさえ重症化したり、亡くなったりしたら。

もし、そうやって責められたら、私は謝るべきだろうか?

こればかりは、そうなってみないとわからない。

 

私が持ち込んだのかもしれない。他の人かもしれない。

感染が怖いなら参列しないでほしかった。でも、もちろんお別れしたいという気持ちもわかる。

肉親を亡くして、誰かを責めたい気持ちもわかる。でも私もそうなのだ。

 

もし、私が家を出る前に、誰かに「行くべきではない」と言われていても、私は振り切って家を飛び出したと思う。(もし既に症状があって入院してたら別だけど)

父の死に目に会えないこと。最後のお別れができないこと。葬儀を欠席すること。

もし、私がそれらを苦にして、一人で悩んだあげく自殺したら。それを言った人は、私に、私の家族に、謝ってくれるのだろうか?

 

「間接的にコロナで死ぬ」というのは、経済的に死ぬ、社会的に死ぬ、ということばかりだと思っていたが、こういうこともあるんだな、と考えた。

 

今はただ、何事もなく時間が過ぎるのを待っている。