やりたいことをやるつもり

なんでもかんでも記録する。

ランダム・ウォーカーが(たぶん)完結してしまった

本当に良いシリーズだ。

ここ数年、ラノベを読む冊数は減っていて、その中で出会えたことが本当に嬉しい本だった。

 

昨年、書店のバイトを辞めてから書店に行く機会がめっきり減ってしまい、新刊が出たことに気がつかないことも増えた。

2018年の12月に出たランダム・ウォーカーの最新刊も、気づいたのは今年の11月で、読んだのは12/7になってしまった。奇しくも丁度一年だった。

 

3冊目になる『天地の狭間のランダム・ウォーカー』を読み終わって、最初に思ったことは「研究者を目指していて、ほんとうに良かった」だった。

私も、シュカやヨキやアストラのような研究者を目指せる。

私はフィールドワークが好きだ。

文献ではわからない空気や活気や、そこにいる人たちを知ることができる。

読んだこと、聞いたこと、見たものが繋がる瞬間は、それはもうびりびりきてたまらない。

私はまだ研究者の卵どころか卵の殻のカルシウムの元素くらいのレベルなんだけど、それでも目指せる。

それが本当に嬉しい。

 

さて、ちゃんと本の紹介もしておこうと思う。

空の上にある文明が超的に発達した「セントラル」は地上の全世界地図を完成させ、地上の未知を解明するために中央調査局という国家機関を設置している。

そこの調査官であるシュカとヨキが地上を歩き、未知と出会い、人と出会う物語だ。

 

この本の素敵なところは、ファンタジーと科学が絶妙に織り混ぜられているところ。

基本はファンタジーだ。たぶん。

未知の生物、未知の現象。

でもそこに科学的にあり得る(あり得そうな?)解明シーンが加えられ、「もしかしたら世界のどこかには私が知らないだけで、あるのかも」と思わせられる。

夢がある、というと陳腐な感じだが、世界が無限に広がっているような気がする本だ。

 

それから、出てくる人がいい。

みんな自分の信念があって、そこに心がきちんと向いている。

この本は基本的には短編集という形をとっている(形式としてはキノの旅とか近いかも)。ヨキとシュカとセントラルの数人以外は登場人物が毎回変わる。

たぶん私たちはセントラルではなく、地上側の人間で、セントラルから調査されたり、見張られたりする立場だ。セントラルの一部の人間からすれば見下されていると言えるのかもしれない。

それでも、それぞれの登場人物に信念があって、心があって、人生があるというのが本当に愛おしいと思う。

このシリーズ、3巻まで出ているが、一冊につき3回は泣かされた。何が悲しいというわけじゃなくて、切なくて愛おしくてよくわからないけど胸がぎゅーっとなって泣きたくなった。

そういう本に出会えるのは幸せだと思う。

 

ところが、3巻のあとがきを読んで愕然とした。

4巻が未定。しかも商業的理由。

こんな良い本が、1,2巻が売れなかったというのか!?

いや、私も図書館情報学徒の末席にいる以上、近年の出版業界の厳しさはよく知っている。

それでも、なんだかやるせない気持ちになった。

 

いつか出るかもしれない幻の4巻のため、そうでないとしても、作者が次回作を書くためのエネルギーにするため。

みんな買って読んでください。

私の2019ベストヒットと言っても過言ではない。

とりあえず1巻読んでゾッとしてほろりとしてください。

そうです、ゾッとする話もあります。

よろしくお願いします。

 

 

世界の果てのランダム・ウォーカー (電撃文庫)

世界の果てのランダム・ウォーカー (電撃文庫)

  • 作者:西 条陽
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/03/10
  • メディア: 文庫
 

 

 

天地の狭間のランダム・ウォーカー (電撃文庫)

天地の狭間のランダム・ウォーカー (電撃文庫)

  • 作者:西 条陽
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

夜が怖くて引っ越した話(心霊系ではない)

8月という中途半端な時期に引っ越しをしました。

別に留学してたとかそういうのではなく、夜が怖くなったから。これからその記録を残しておこうと思います。

 

1.色々と起こりすぎた

起こったことを時系列順に並べると以下の通り。

①2018年9月

・つくば警察署から「お伺いしたいことがあります」という旨の手紙
→電話すると、「不法侵入が多発してるけど、怪しい人みかけてませんか?」「いいえ見かけてません」で終わり。

・その数日後電話で「不法侵入犯が捕まって、あなたの家の敷地に侵入したとのことだけど、刑事的な処罰を望みますか?」
→わざわざ不動産会社とか大家じゃなくてうちに電話してくるってことはベランダでは……?
→室内には入ってないとのこと
→自身にはとくに被害の認識なし

→不動産屋には連絡がいっていなかった

 

警察の番号であることはきちんと確認した上で連絡を受けました。
最終的にTVつきインターホンつけてもらう&いくつかの防犯グッズで対策することに。

 

②2018年10月

・荷物の不着?盗難?が発生。所属してた学会からの本と振り込みの用紙の荷物だった。
→不動産と警察に連絡。9月の件とは関係ない&再送してもらえるならいいんじゃない?とのこと。
→ヤマトに確認をとると、配達員がポストに入らず、ドアノブにかけたことを覚えていた(補償はついてない配送だった)

 

結局、振り込みの用紙だけ再送してもらいました。


③2019年5月

・郵便物の不着?盗難?あり。祖母からの手紙
→郵便局で調査してもらったが見つからず。特に重要なものでもないため諦めました。

 

④2019年6月

・ドアスコープが外れかけていた
→ネジ状の構造が見える状態
→古くなって緩んだのかな?と思って手でてきとーに閉めた
→あとから、ピッキングや覗きの常套手段だと知った
→確認したら、手でてきとーに閉めたにも関わらず、固く閉まっていた。誰かが閉め直したか……?

 

2. 神経質になってしまった

①のときは、「捕まったんだ~よかった~」と思って、TVインターホンもつけてもらったし安心!みたいな気持ちでした。戸締まりは前より気を付けるようになったけど。

②のときは、本が入っている包みだったこともあって、単純に盗難or近隣の人に間違って届いたけど名乗り出てくれない、だと思いました。

③のとき、愛媛からの手紙だし、郵便局同士の移動の際、どこかで紛失されてしまったのかもしれない、と思いました。

④のとき、もうここには住めない、と思いました。

 

④が起こったあと、物音に敏感になりました。

隣の人に事故か故意かわからない壁ドンされてたんですけど、それが怖くてテレビの音量をめちゃめちゃ下げたりしました。

アパートの階段を誰かが上る音で目が覚めたりしました。というか寝付きが悪くて夜明けまで起きてることも増えました。

物音に敏感なのに一人で静かなのが怖くてYouTubeをイヤホンつけて流しっぱなしで過ごすようにもなりました。かと思えば、「イヤホンつけてると誰か来ても気配に気づけない!」と怖くなってつけたり外したりしてました。

 

でも引っ越しが終わって考えると、というだけで、そのときは普通だと思ってました。

研究室のソファでよく眠れた日に、自覚していないだけでだいぶ負荷がかかってる、ということに気づきました。

 

これで、ついてくる人がいる!無言電話がある!変な手紙が届く!ということなら警察に相談できたかもしれません。でもなにもなかった。一連の出来事が同一犯なのか、たまたま連続しちゃっただけなのか、判断できなくて、だから気持ち悪くて怖かったです。

 

あと一番ぴりぴりしてた時期に来て、インターホンで不明瞭に名乗ってドアの前から動かなかったNHK、お前だけは許さん。

 

3. 不用心は怖い

私わりと田舎の方からつくばまではるばる出てきてます。

家に人がいれば玄関の鍵はかけず、洗濯物は下着を含めて外に干し、季節がよければ夜は窓を開けて寝るような家です。(一人暮らしの人はもう少し気を付けてるのかも?)

大都会つくばで初めて一人暮らしになった私は一応色々調べたりして、家にいるときでも鍵とチェーンをかけ、夜は窓を閉めて鍵をかけ、下着はタオルに隠して干したりしていました。それで大丈夫だと思ってました。やりすぎじゃね?とも思ってました。

だってまわりにたくさん同級生住んでるし。

大学の近くだし、大学の近くに交番も警察署もあるし。

安心だなー、と。

 

そんなことで安心してたらまずかったようです。

用心はいくらしても足りないっぽい。

 

去年、親に車買ってもらったんですよ。

夜暗くて、バイト帰りが危ないから、って。

今思い返すと本当によかった。

もしかしたら、車がなければどこかで襲われていたかもしれません。

不用心にも自転車で夜中に帰ってきたり出掛けたりしてましたからね。

 

4. そして引っ越しへ

この辺はばったばたで特に言うこともありません。

親と相談してオートロック付マンションへ引っ越しました。1ヶ月くらいで引っ越しの手続きと移動が全部終わりました。わりと手続き自体は簡単ですが、お金はかかります。なんで不審者のためにお金を使わなきゃならんのだ(ほぼ親に出してもらったにしても)。

 

友人、バイト先の先輩後輩、恋人等々に手伝ってもらいました。みんなお手伝いありがとう。本当に助けられました。

 

今のところひと安心しています。換気もよくするようになったし、ポスティングの投函音や夜中の足音、ピンポンに怯えなくてよくなりました。

 

 

5. まとめ

ここまでしても、不審者が郵便局員とか市役所の人とかヤマトのお兄さんとか大学関係者だったら住所バレも一瞬&オートロック開けるからどうしようもないけど。

 

今でも時々思うわけですよ。

大学もバイト先も変わってない。

新しい住居なんてつけられたらすぐ分かってしまう。

オートロックでも駐車場は無防備だし。なんなら誰かのあとつけて入ろうと思えば入れるし。

 

ストーカーだと確定できない私ですらだいぶ怖いので、ストーカーが確定してる方は本当に本当に怖いんだろうと思いました。所属してる組織全部離れて、土地も離れて、それでも居場所がばれたりするわけだし。

 

みんな本当に気を付けて、用心深く生活してください。性別限らず。私も気を付ける。

 

絶対に犯罪行為をするやつが悪いのは間違いないんだけど、それでもその悪いやつのために死にたくはない。

「自衛しなかった方に問題がある」ではなくて、悪いやつがいなくならないから、「仕方なく」自衛をする。

 

本当なら私は夜は窓を開けて自然の風に当たりつつ寝たいし、夜中にお散歩したいし、洗濯物は全部日光に当てたい。

でも死ぬのは嫌なのでしません。

大袈裟だとは思いません。死んでもおかしくなかった。

たまたま気づくのが早くて、車を持ってて、引っ越しが間に合ったから生きてるだけ。

 

早く夜が怖くない日が来るといいなと思います。

 

 

ゆとり世代・さとり世代と言われても困る

大学生になりたての頃、叔母から「今の大学生はさとり世代」だと言われました。

曰く、出世欲がなく、気概が足りない、どうせ上にはいけないと思っている。

 

先日、とある大学の授業で、「今の若者は世界を目指さない」ということを熱く語る人がいました。

曰く、周囲の人が大事で、そこそこの給与と地位で穏やかに暮らしたいと思っている、だから世界に出ようとせず、結果として日本は世界に対して立場が弱いのだ。

 

でも毎回こう思うわけだ。

それの何が悪いの?

 

1.そもそもそういう教育を受けてきた

幼いころから言われませんでしたか。

・争いはよくない

・自分がされて嫌なことはしてはいけない

・生まれや信条で人を差別してはいけない

・個性を大事に

ナンバーワンよりオンリーワン

 

個性を大切にして、感受性を育てようとしたゆとり教育のたまものかもしれない。

私はこれを忠実に守っているいい子ではなかろうか?

人に攻撃をせず、仲間(周囲にいる家族友人恋人)を大切にして生きていこうと言うのだ。

そこに人と争って上にいこう、上にいこう、という気持ちなんて生まれるわけないです。

争わなくてもそれなりに生きていけるし。それの何が悪いの?

 

2. 覇気がないのではなく、尊重しているのだ

私は政治とか宗教とかマイノリティへの態度とか、意見は人それぞれだということを知っています。

その事実に対して特に思うところはありません。

でもそれを押し付ける人が嫌い。

自分と違う意見の人を貶めて、自分の意見を高めようとする人が嫌い。

 

相手がその意見を持ってる、私は違う意見を持ってる、それだけのことのはず。

意見が人それぞれだというのは事実であり、それを尊重したいと思っています。それは私の好き嫌いとは関係ない話です。

 

その人の意見が嫌いだからと言って、攻撃するのはよくない。でも、嫌いな人や嫌いな意見が近くにあるとどうしても嫌な気持ちになったりイライラしてしまう。だから離れる(twitterならミュートしたりね)。

 

人によってはこれが無関心だとか覇気がないとか思うのでしょう。でも、私は攻撃したくないし攻撃されたくない。相手の意見は尊重するけど同意はできない。そこで軋轢は生みたくない。

 

もちろんちゃんと議論することは大切だと思います。

商品とか企画とかサービスとかそうやってどんどん改善していくものだと思うし、仕事上でそれをするのは全く問題ありません。

でもプライベートでは、人の意見に口出ししたくない。

 

3. 上にいけないというのは割りと事実だと思う

1996年生まれ。早生まれなので学年としては1995年。

あんまり明るいニュースを聞いた覚えはありません。

政権がどんなに変わっても、それほど世の中明るくならないのを見て育ちました。

災害大国日本で、日常が崩れ去るニュースをたくさん見ました。

図書館が大好きで、司書になりたくて大学の専攻を決めたけど、多くの司書がワープアで生活すら厳しいことを知ってやめました。

 

うちの祖父は「いいとこの四年生大学に行ったんだから、公務員なんて簡単だろう」と言います。きっと祖父の時代もしくは私の両親世代はそうだったのでしょう。

そんなわけないことを私は知ってます。

 

誰でも情報発信ができる時代だからこそ、成功した人の話も失敗した人の話もたくさん見ました。そこでたぶん多くの人が思ったはずです。

 

「成功できるのって一握りの人間だけなんだ」

 

実際たぶんそうです。何か才能がある人、強い人脈を持っている人、たくさん努力できる人、失敗を恐れない人。そういう人は成功しているんだと思います。

 

でも凡人にはリスクが高すぎる。

失敗したらやり直しがきく保証なんてない。

失敗の行き着く先は死かもしれない。

 

それならハイリスクハイリターンよりも、それなりのリスクでそれなりのリターンを得て、穏やかに暮らしたい、というのが当然の思考ではないでしょうか。いのちだいじに。

 

それなりに豊かな時代に生まれたからこそかもしれません。リスクを犯さなくても自分一人(と周囲の数人)ならなんとか生きていける気がする。というのが私の気持ちです。

 

4. まとめ

高い志をもって前に進む人は素晴らしい。応援したいと思っています。

ただ、そうじゃない人に対して「覇気がない」「気概がない」「ゆとり世代・さとり世代」と言うのはやめていただきたい。

自分と、自分の好きな周囲の人々がハッピーに人生を終えられる、それで十分。

そのハッピーの形は人それぞれなので、大いなる壁に挑戦することがハッピーにつながる人もいるし、自分が大きな世界で活躍することがハッピーな人もいるし、給料が低くても余暇をたくさんとって趣味に没頭するのがハッピーな人もいるし、周囲の人をハッピーにすることがハッピーな人もいるし。

あなたが「覇気がない」と評価した人は「人と争わずにのんびり暮らすことがハッピー」な人かもしれません。

自分のハッピーを押し付けてはいけない。

それぞれのハッピーが尊重される世界になるといいですね。

 

 

 

 

メンヘラが「メンヘラってDVじゃね?」ってことに気がついた

つい最近、気づいたことがある。

「メンヘラってDVじゃね?」

私はたぶん、メンヘラ女の一人だ。

 

これについて、書こうと思う。

 

1.そもそもメンヘラとは

Weblio辞典だと以下の通り。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%A9

「心に何かしらの問題を抱えている人」というような意味合いで用いられている通俗的な表現(インターネットスラング)。メンタルヘルス(精神衛生)を略して「メンヘル」と呼び、さらに英語の接尾辞 -er を加えて「メンヘルな人」という意味を加えた言い方と解釈される。

 

一般的には、「メンタルヘルスがやばい人」を指すんじゃないかと思います。

リスカしたりとか、睡眠障害もってたりとか、異常な執着とか。

その中でも、特に恋愛ごとに対してよく使われる、というのが個人的な意見です。

大抵、重い、束縛が激しい、なのに浮気性、愛されてないと不安、みたいな女の子に使われがち。

 

2.メンヘラはDV

私個人のメンヘラの症状としては

・脈絡もなく泣く

・どうしようもないことで八つ当たりする

・嫉妬、束縛、執着する

・毎日連絡してよ!とか言う

・精神が体調に直結しすぎてて、少し嫌なことがあるとすぐに体調が崩れる

 

自傷も物理的他害もしてません。でも、精神的な他害はしてるんだと思う。

暴力だけがDVなわけじゃない。

恋人や家族や友人にマイナスな言葉を聞かせて、優しさを強要して、束縛して。それはきっとDVと呼ばれるものだと思う。

 

うちの恋人は私が嫌がったから、という理由で昔から仲の良い女の子と縁を切ったりしました。

そしてそれは、私がいたから、やってしまったことだと思う。

これが精神的なDV以外のなんだと言うのだ?

それ以外でも、泣いたときにずっと話を聞いて欲しがったり、私がつくばにいたがってるから自分が転職する、とか。彼氏はそれをよしとしているけど、本当にそれでいいのか?

自覚していないだけで私は彼氏を洗脳してしまっていて、彼氏は洗脳されてしまっているのではないか?

 

3.気づいたときに考えたこと

最初に考えたのは「このことが彼氏に知られたら、彼氏が正気に戻って振られるかも」でした。いやあ自分のことしか考えてねぇ。自覚すると私はかなりやばい人だ。

そのあともずっと悩んでいます。

このままでいいのか。

結婚とかそういうの進んできてるけど、これは恋人にとってよいことなのか。

私は願ったりかなったり、だけど……

一生懸命メンヘラを修正しようとしてるんですけど、これって治るもん?

 

4.私の彼氏、DV被害者と同じこと言ってない?

DV被害者は決まってこういうらしいです。

「彼、本当は優しいところもあるのよ」

「彼には私がいないとだめなの」

 

うちの恋人も同じことを言います。

「○○はいい子だね、優しいから傷つくんだね」

「○○はほんとに俺がいないとだめだなぁ」

 

DV加害者の典型的な特徴としては

・周囲からの評判はいい

・感情の起伏が激しい

・嫉妬深い

・時々ひどく優しい

などです。大体わたしに当てはまるじゃないかちくしょう。

DV関連の記事は男→女への暴力関連がほとんどですが、これはたぶん目に見える傷があるから。

目に見えない傷は本人が自覚しないと、誰も見付けられない。

 

5.まとめ

たぶんメンヘラは目に見えない傷を、側にいる依存相手につけている。そこから離れる人もいるだろうけど、優しい人はメンヘラに優しくして、どんどん傷つけられてしまうのでしょう。

 

個人としては、メンヘラ(DV)は治せるようになんとか頑張ります。

ずるいことに、できればこの記事は恋人に見てほしくないなぁとも思います。だって好きなので。

メンヘラのみなさんは気を付けて。

メンヘラの彼女・彼氏がいる人も気を付けて。

自分の精神状態を客観的に把握するだけでなんか変わるかもしれません。

 

6.追記(19/08/12, 19/08/16)

この記事が当人に見つかりました(そりゃそう)

本人いわく「俺はメンヘラだと思ったことはない」「君の価値観はおかしくないから大丈夫」「これからも気になることは遠慮なく言ってほしい」だそうで、天然のメンヘラ製造機でした。

ちゃんと自分で気を付けようと思います。

たぶん恋人自身が自覚もしてない、みえない傷があるはずだから。

 

英語って勉強法そんなに関係ないみたい

先日、TOEICの点数が910点になりました。

 

でも特別TOEIC対策をしてたわけじゃないんです。

TOEIC対策は以前書いたこの記事の点数のときだけ。

hukamy28.hatenadiary.jp

そこから2年間ほったらかしでした。

だって院に入ってから読む論文の8割は(仕方なく)英語になったし。

週1の英会話は続けてるし。

これ以上英語なんてやってらんね~!って感じです。

 

いや私、英語そんなに好きじゃないんですのよ。

ツールとして使ってるけど、日々時間をとって勉強するほど好きじゃない。

読まなきゃいけない論文を読んで、先生と同じクラスの人たちとの人間関係が良くて楽しい英会話教室に通って、それでもういっぱいいっぱい。

嫌いな人からすれば「十分好きでしょ」って感じかもしれませんけど……

 

いや、今回伝えたいのはそこじゃなくて、英語で(点取るだけなら)一番大事なのは継続だというお話。

私は870点の時はめっちゃTOEIC対策してました。それであの点数。

今回はTOEIC対策ほとんどしてないのに910点。ここの違いは「英語に触れる回数」。

1回分の量も質もそれほど関係ないと思います。回数。

 

院生になってから、ほぼ毎日、ほんの少しでも英語に触れていました。(論文1ページしか読んでない日もある、くらいのレベル)

最初はめちゃくちゃ嫌々だったけど、だんだん慣れました。

読むスピードはまだ遅いけど、読み始める時の抵抗感(ハードル?)がほとんどなくなりました。(たりぃ、と思うのは日本語論文も同じだし)

 

たぶん、英語が得意かどうかというのは英語への抵抗感で決まるんだと思います。

だから音楽、映画、漫画を使った勉強法が勧められる。

自分の好きなものなら抵抗が少ないからです。

英語圏の恋人を作ると上達が早い!」というのもそうですね。

音楽も映画も漫画もそんな好きじゃないんだけど、という方には「量がすくないもの」をお勧めします。うっすーい小説(ラダーシリーズとか、ペンギンシリーズとか)、偉人の名言、海外の俳優・女優、歌手のTwitterやインスタ……量が少なければ少ないほど抵抗が減ります。

頑張れる人は私みたいに荒療治でも行けるかもしれませんが、嫌いな人にとっては精神を病むのでお勧めできません。

 

【まとめ】

たぶん勉強法云々の前に、「英語への抵抗感」が大事だな、と思って書きました。

抵抗が少なければ触れる回数が増える。

触れる回数が増えれば上達する。

英語以外でも言えそうだなと思ったので、私が大の苦手としている家の掃除にでも応用してみようと思います。

吹奏楽のトラウマと吹奏楽部関係者にお願いしたいこと【後編】

さて、後編です。

 

③音楽性の違いとオーディション

バンドは音楽性の違いで解散したり脱退したりします。

でも吹奏楽部は部活なのでなかなかそういうわけにはいきません。その学校のその部の方針が全てで、そこから離れることができません。

 

もし私が楽器を持っていれば、違ったのかもしれませんが、楽器も維持費も個人でのレッスン料も高く、どうにもできません。(だってオーボエ普通に100万超えてくる)

 

私のいた吹奏楽部は「全国大会」を本気で目指すところでした。実際私が2年生のときには、夏の大会で全国までいきました。

でも、私はそうじゃなかった。楽器が吹ければそれでよかった。

そこのズレは「オーディション」という制度によって決定的になってしまいます。

 

吹奏楽の夏の大会は、出場人数が決まっています。

だから、どうしても大会には出られない二軍が発生します。

私は二軍でよかった。というよりも、二軍として楽しく楽器を吹く方がよかった。でもそれは無理でした。

私の楽器だったオーボエは、部内に大抵二人しかおらず、曲構成の都合上、二人とも出ることが求められました。

それでもオーディションは受けねばなりません。

 

うちのオーディションは、部内全ての人が後ろを向いて座ります。オーディションを受ける人は前に出て、先生に指示された箇所を吹きます。吹いたところを聞いて、「この人は大会にでても良い」と思えば後ろを向いている人は手を上げます。あげた人数によって合格・不合格が決まるのです……

 

私はこれにどうしても受からなかった。

オーボエは二人しかいないので、吹いている人がどっちかなんてすぐわかる。

誰も手をあげてくれない、特に先輩方からは手があがらない。後輩は私よりも上手くありませんでしたが、「セカンドだからこれくらいでいい」とあっという間に手が上がって合格しました。

不合格でも大会にはでなきゃならない。一軍の合奏中、合格してないのは私だけ。

先輩方には「早く先生に頼んでオーディション開いてもらって、合格しろ」

頼んだ先生には「不合格でも大会に出ることに変わりはないんだから、そんなこと言ってる暇があったら練習しろ」

二軍の人たちからは「3年生で二軍もいるのに、オーディション不合格のやつが大会に出るなんて信じられない」

八方塞がりでした。いやまじで二軍の人代わってくれって思ってた。

出ても下手くそだ、和を乱してると罵られるだけで、なんにも楽しくなかった。

 

私はオーディション不合格のまま大会にでました。

 

冬の大会も同じです。

うちは学内でソロコンテストをやって、上位の人から決められた数のグループをつくり、そのグループだけが大会に出られる仕様でした。

私はたしか、2年間(3年生は夏の大会で終わり)とも学内ソロコンテストは銀賞。

でも、1,2年ともトップグループでの大会に出ることになりました。

何故かというと、よくオーボエと「木管三重奏」グループになるフルートとクラリネットが優秀だったからです。私は銀賞でも、木管三重奏を組むときに、オーボエでは最上位だから選ばれたのです。

まあこれも妬み嫉みその他諸々ありました。プレッシャーもあったし、全国大会に行けなかったときは私が力不足で、と怒られた。あんまり上手くいきませんでした。

嫌になっちゃいますね。

 

吹奏楽部経験で私に刻まれたこと

①~③のような経験があって、私の中には「低い自己評価・自己肯定感」が刻まれました。

これは本当によくない。

 

部活時代に誉められた記憶は、大会か選抜演奏会かの審査員コメントで「オーボエの音が伸びがよく、素晴らしい」と書かれていたことだけ。先生がそれを前で読み上げたとき、部内は「シーン」としていました。「よかったね」と声をかけてもらった記憶もありません。

部活で嬉しかった記憶がこれだけってどうなの?

全国大会に行ったとき(2年生)も、「あ、この地獄まだ続くんだ」と思いました。先輩達の機嫌が良かったのが嬉しかった。

 

自己評価・自己肯定感の低さはパフォーマンスにも関わるし、人間関係の構築にも関わります。

私は幸い部外にもインターネットにも友人がいたのでなんとかなりましたが、そうじゃなかったら普通に死んでたかも、と思います。

部外で救われていた私でさえ、何か落ち込むことがあったときに「自分はクズでゴミで、死んだ方がマシな人間だ」「これは全て私の能力不足や考え方が悪い」と考える癖が残っています。

年上の人と話すとき、その人に慣れるまではおどおどしてしまいます。吹奏楽部に多かった所謂「陽キャ」と呼ばれるような人たちが苦手で、新しく出会った人がそのタイプだと、その人がどんなに良い人でも、落ち着いて話せるまでに時間がかかります。

 

高校生の頃から私の存在を全肯定してくれる人たちはいました。大学にもいます。少しずつ、分野によっては自己肯定感を高められるようになってきました。

でもこの傷やトラウマは一生ものだと思います。

 

吹奏楽部の人にお願いしたいこと

◯今、吹奏楽部の人へ

・きっと部活の空気に合わない人というのがいます。その人が辞めたいと言い出したら止めないでください。部活は部活であって、将来の進路を壊すほどの価値はありません。

・闇雲に全国大会を目指していませんか。部内で一致していますか。苦しい人はいませんか。きちんと確認して話し合ってください。そのときに、一人を囲んで「お前がこっちの考えに同意すべき」と洗脳するようなことをしてはいけません。

・音楽はとても楽しいものです。もちろん、生理的にウマが合わない人というのはいるし、それが先輩後輩かもしれません。そのとき、音楽をダシにしてその人を貶めるようなことをしないでください。音楽を自分の好き嫌いで汚さないように。

・今苦しんでいる人は、部活の外に助けを求めてください。他の先生や、外のカウンセラーや、病院に。きっと多かれ少なかれ精神的にまいってると思うので、それをなんとかできる人を探してください。学生のうちに少しでも修正できるようにしてください。

 

吹奏楽部の先生へ

・全国大会に行きたいのはほんとうに学生の意思ですか。先生の希望ではありませんか。音大ではないので、学生には勝つためだけではない音楽経験をさせてあげてください。

・苦しそうな学生がいないかよく見ていてください。パートリーダー任せにしないでください。その子の練習不足が悪いと突き放さないでください。練習をいくらしていても、仲間に入れてもらえない子だっているんです。

・部内のルールを見直してください。もちろん全ての人に合わせるルールは不可能です。人がルールに合わせるべきだとは思います。ただ、不要なルールで苦しむ人がいないようにしてください。

 

 

私は大学に来て、大丈夫だと分かっていても人間関係が怖くて吹奏楽をやめました。オーボエ吹奏楽曲も、今でも大好きですが、吹奏楽の演奏を聴くと胸と息が苦しくなります。オーボエの音色を聴くと泣きそうになります。オーボエを吹いている人を見ると嫉妬もします。

それでも、こんなに好きでも、もう触りたくないとも思います。

 

もちろん全国大会目指して頑張るのは、とても素晴らしいことです。

ただ、これ以上、吹奏楽の人口を減らすようなことが、吹奏楽部で起こらないことを祈っています。

吹奏楽部のトラウマと、吹奏楽部関係者にお願いしたいこと。【前編】

これから先、いろんな記事を書こうと思っているのですが、この記事を書いておかないと分かりづらいことがあるので先に書いておきますね。

吐き出したいだけなので、読み流す方が精神衛生上よいかもしれません。

 

高校時代の吹奏楽部の話です。

私は中高吹奏楽部でした。

中学校のころ、なぜか入部希望者のうち吹ける人が私を含めて2人しかおらず、もう一人はコントラバスに行ってしまったので、私は半強制的にオーボエ奏者になりました。

楽器を吹くのはすごく楽しかったけど、なんとなく人間関係に馴染めないまま高校へ。

新しいことをやりたい&吹奏楽部の上下間系とか女社会が怖かった私は別の部活に行きたかったんですけど、親に「運動部か吹奏楽部以外許さん」と言われて、大喧嘩の末、吹奏楽部へ。楽器吹くのは楽しいしまぁいっか~って。

 

やっちまった。

無理を承知でも運動部に行くか、全力で親に抵抗してほかの部活に行くんだった。

 

①前置き:私も普通に悪かった

高校生1年生後半ごろでからしょうか、私はめちゃくちゃ寝るようになってしまいました。

夜中の11時から1時までの間に就寝、7時頃に起床。日によっては確かに睡眠時間は短め。

でも学校生活の9割寝てるのはおかしくないか?

無理にでも起こしてくる数学の授業と体を動かす体育の授業以外はほとんど寝てる。体育の授業も先生の話を聞くために座った瞬間寝落ちる。

なんかもう座るのがスイッチのように寝ていました。

これは3年生まで続き、センター試験でもうつらうつらする始末。

大学に来てからはだいぶ改善されました。

 

当然部活でも寝落ちる。吹奏楽部の人なら分かると思うんですが、合奏中、暇になる時間というのがあります。

その時間に頭ががくがく揺れます。

当然先輩やら先生やらに怒られます。

その説教の最中にも意識が飛ぶ始末。

楽器を吹きながら意識が飛びかけたこともありました。

今思い返すと軽度のナルコレプシーなのかと思いますが、当時はそんな知識もなく、みんな私が怠惰で、やる気がないのだから寝るのだと、そういう風になりました。私もそう思っていました。

私を攻めるだけの土壌は完成していました。

 

②先輩後輩もメンタル不安定だった

高校のときに同じ楽器だった先輩は、1つ学年が上ですが、高校からオーボエを始めた人でした。私より経験が2年少ない計算になります。

でも、吹奏楽部というのは上下関係が執拗なほど強調されますので、私は大人しく先輩にファースト(第一奏者)を譲り、ソロを譲り、大人しく大人しく過ごしておりました。

そしたらある時、合奏中に先生が、先輩にソロを何回か吹かせたあと、「いまいち。おい、◯◯(私です)吹いてみろ」。

吹奏楽部の上下関係は先生を頂点とするピラミッドです。仕方なく吹いたら「ここは◯◯でいく」と。

おいおいおいと思いました。先輩からの刺すような視線を感じました。

そんでその年の冬。アンサンブルコンテスト(少人数の吹奏楽の大会)の代表に、私が選ばれて、先輩が選ばれなかった。これが致命的でした。

先輩は、私と一緒に練習をしなくなり、練習を見てくれることもなくなり、次第に朝練の連絡が回ってこないというような嫌がらせが始まり、結局次の年に「耳の病気」を理由に部活に来なくなり、不登校になり、単位が足りないので転校しました。それが高校二年生のころ。

 

途方にくれました。

当時パートの3年生はその先輩だけ。

パートリーダー会議には仕方ないから私がでる。

2年生だから意見は通らず、同輩をやめさせた張本人だと蔑まれ、身動きとれなくなっていました。

しかも部内にその人の彼女がいたりしたので、なかなかやばめな状況でした。

 

で、その頃、1学年下の後輩も情緒不安定でした。 

土日の練習にこない。家を出ているらしいが学校には来ていない。大急ぎで探し回ると公園にいて、部活に行きたくないという。そりゃそうだ。私もいきたくなかった。

でもそれを説得して部活に連れていかなきゃ私が怒られる。後輩が辞めでもしたら監督不行き届き、ちゃんと面倒を見れなかった先輩のせいになる。

なんとか部活に連れていくものの、同級生とトラブルを起こしまくり、なぜか私が先生に怒られる。意味がわからん。

あのとき庇ってあげられたら良かったなぁと今は思いますが、当時はもういっぱいいっぱいでした。ほんとうにごめんなさい。

 

そのあたりで、私のナルコレプシー(疑い)もどんどんひどくなり、パート全体が「部活の邪魔者」みたいになりました。

 

その次の年に入ってきた男の子。

忘れもしない9月1日。

朝練のあと先生に呼び出されました。

「××(その男の子)、今日パジャマに裸足で家を抜け出したそうだ」

 

は?

 

「理由は部活に行きたくないかららしい。このままだと不登校になりかねんから、部活は辞めさせる」

 

はぁ。なるほど……

まあわかる。集団行動とか規律とか上下関係とか苦手な子だった。そりゃそうなる。ごめんな、ちゃんと守ってあげられなくて。

 

その後、その後輩が辞めた詳細は部内に広まらず、私の監督不行き届きで、説得できず、後輩の面倒を見れない私が悪いという雰囲気になんとなくなって終了。

 

私もメンタルが安定している方ではないので、振り回されに振り回され、情緒不安定の結果たぶん八つ当たりもしてたと思います。

後輩たち、ちゃんと面倒見てあげられなくてごめんね。

 

 

長くなりすぎたので後編に続きます。